世界の有名なダイヤモンド「コ・イ・ヌール」
Koh-i-Nur Diamond
さて、ロンドン塔のカリナンIとII以外に、世界で最も古い歴史物語を持つダイヤモンドで有名なものが
「Koh-i-Nur Diamond コ・イ・ヌール」という名前が付いたダイヤモンドです。 少し長くなりますが、最も大切なダイヤモンドですから、さまざまな文献に残る話を参考に歴史を振り返り、ダイヤモンドの価値がどのように歴史に影響を遺すものか想像していただきたいと思います。
「コ・イ・ヌールを持つ者は世界を制する」と、古代インドやペルシャでは言い伝えられてきました。 歴史上、コ・イ・ヌールは、「全てのダイヤモンドの中で最も古いダイヤモンド」で、インドの伝説では数千年から言い伝えられています。 歴史的に正確な記述としては、インド・デリーの支配者であった、皇帝アラ・エド・ディン(1295−1316)が1297年にクジャラの王を滅ぼし、このダイヤモンドを手に入れた1304年に始まります。 クジャラの王は、これをデカン地方または南方から手に入れたとされています。(それ以前の歴史については、古代の叙事詩の中で五千年以上前から存在しているそうです)。
1200年代以後の歴史では、インド、ムガール帝国、皇帝バブール(在位1526—30)、タージ・マハールを建てた皇帝ジャハール(在位1627−58)など、コ・イ・ヌールは、帝国を支配した多くの皇帝の象徴として存在していました。
1739年にはペルシャのナディル王が、インドの支配者になることを企て、デリーに侵入してこれを手に入れようとしましたが、このダイヤモンドだけは発見することができませんでした。 やがて、ナディル王は、ムガール王のターバンの中に隠されていることを知ると、それぞれのターバンを取り替えることを企て、ダイヤモンドを手に入れました。
ナディル王は、このダイヤモンドが目の前に現れた時、その驚きと喜びのあまり「コ・イ・ヌール(光の山よ)」[ペルシャ語]と叫んだと伝えられています。このことが、名前の由来となっています。
その後、「コ・イ・ヌール」はペルシャ、アフガニスタン、パキスタン、インドと東洋の王達に、勝利と敗北、支配と滅亡とをもたらし続けました。大航海時代を経て、ヨーロッパの国々が東洋に進出し、このダイヤモンドの運命が変わります。
1849年にはイギリス、東インド会社がシーク教徒の反乱の賠償としてこれを得て、本国のビクトリア女王の元に献上しました。 イギリス本国に送られた「コ・イ・ヌール ダイヤモンド」は、1851年ロンドンの万国博覧会に「世界最大、186カラットのダイヤモンド」として展示され、当時大きな話題となりました。
しかし、それは、人々が想像していたダイヤモンドの美しさは無く、荒削りのオールドインディアンカットだったため、「とても美しいものとは言えない」という評判が立ってしまったのです。 当時の新聞の評論には、
と書かれています。
ビクトリア女王は、その評判の悪さから、リカットを決定しました。王室宝石関係者がさまざまな角度から、理想的なダイヤモンドの輝きを得るための検討をし、現在の理想的な「オーバル・ブリリアントカット 105.60カラット」の完成にこぎつけました。
英国自然史博物館には、このリカット前の形を示す石膏型が残っています。確かにそのカットでは、現在の形と比較して、美しさの点では劣ったかもしれません。ダイヤモンドはカットによって美しさを増すものですから。
しかし私は、少なくとも、数百年以上前のカット技術を見ることができたであろう、「当時のありのままのコ・イ・ヌール」の輝きを体験してみたかったと心から思います。
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