ジュエリーの歴史の始まり(5)~古代ローマのジュエリー
今、皆さんが楽しんでいるジュエリーはどこから来たのでしょうか。
今まで、クレタ島「ギリシャ神話の時代」、古代ギリシャ、ポリスの時代、ギリシャの最盛期アテネの時代、ギリシャから古代ローマへの移行についてお話してきました。今回は、「古代ローマのジュエリー」です。
宝石類、技術のローマへの流入
前回の歴史の偶然~ギリシャから古代ローマへの移行でお話したように、ギリシャ文化はそのまま、古代ローマに引き継がれたと思います。その中の大理石の彫刻技術で表現された美術は、ローマ時代の宝石の彫刻へと発展したのです。
この時代にジュエリーの歴史に大きく変化が起きたことがありました。それは、ローマの拡大によって、戦闘的で勇猛なローマ兵は、占領したギリシャ系諸都市やアジア、アフリカから多くの宝石類を持ち帰ったことです。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、の大きな勢力から銀などの貴金属、特に金はエジプト、スペイン地方から多く運ばれ、宝石の貴石類はアジア諸国、真珠は紅海やインド洋から運び込まれました。 物品や素材だけではなく加工技術と技術者までもが取り込まれ、その結果ジュエリーの歴史が急速に進んだことには大きな驚きを感じます。
大英博物館のローマ時代のジュエリー
古代ローマのその進化の宝飾品の一部がロンドンの大英博物館で見ることが出来ます。
大英博物館のローマ時代のジュエリーを見ると、貴族や富裕層に華やかに盛んに着飾られていたことが分かります。 特に大きく変化したのは、色の美しい宝石と金を使った宝飾品の登場です。 もう一つは、石の研磨技術の進歩で、宝石の表面を掘り込んだり掘り出したりするGlyptic (宝石彫刻術)という繊細な加工技術が生まれ、普及しました。
モチーフには、神、精霊、怪物、人間、動物を取り入れて、美しいメノウ類の色で表現して、ジュエリーに守護や権威の象徴など、さまざまな意味を込めています。
モチーフ部分を掘り込んで表現する、インタリオ技術を使ったジュエリーの伝統は2千年後の現代でも、人気の宝石として脈々と引き継がれています。
ところで、彫刻されたローマンカメオは、ペンダントとして飾られ、「人間の歴史において最初といっても良い、人気の高いジュエリー」となりました。
つまり、ローマの発展によって、宝石、宝飾品は一部、特権階級の財産性と権力の象徴としてだけではなく、多くの階層の人々の飾りとしてファッションや楽しみの意味合いが強くなりました。そして後のヨーロッパのジュエリーの発展につながっていきました。
これらの高度に彫刻された宝石は、サインの代わりのシグネットリング、封印をするシールストーンなどと普及しました。貴族や富裕層だけではなく、新しい階層、キリスト教の聖職者にとっても重要なジュエリーになりましたから、後のヨーロッパのキリスト教と王家の文化に大きく影響しています。
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