ジュエリーの歴史の始まり(4)~ギリシャから古代ローマへの移行

ジュエリーの歴史の始まり(4)
~ギリシャから古代ローマへの移行

今、皆さんが楽しんでいるジュエリーはどこから来たのでしょうか。

ギリシャの植民都市

ローマの文化は、その多くはギリシャの文化の継承と模倣から始まりました。 まずは、ギリシャ人の植民活動についてふれておきましょう。

ギリシャ人は海路を使って、エーゲ海、黒海、地中海などに多くの都市植民地を作り進出します。そしてアフリカの北から進出する、フェニキア人の植民都市と地中海を分け合っていきました。その頃の最も先進の文化を力に勢力を広げたのです。

それらギリシャの植民都市では、大都市アテネを模倣した文化が取り入れられました。ゼウス神殿を中心とした都市の構造、神、女神たちの彫像、生活道具などです。つまりいくつもの小アテネが、現在のトルコの沿岸地域、シチリア島、南イタリア諸都市、遠くスペイン、フランスの沿岸などにできたのです。ギリシャの最も繁栄した時代だと言えます。

古代ギリシャとローマの植民都市地図
ローマの発展~ギリシャの文化を継承して

一方、ローマはその時、小さな地方の一つの町にすぎませんでした。イタリア半島中部には「心の優しい」エトルリア人が住み、町と文化が存在して美術的にも栄えていました。小さな町だったローマは、約2700年前に誕生したとされています。ローマは、地形の特性によって、海の諸都市ギリシャ民族と、山の諸都市エトルリア民族とを結ぶ、商業の通過地点の役目を果たしていました。

性格が荒く野蛮だったローマ人は次第に力を強め、エトルリアを征服し、その後1000年に及ぶローマの発展の歴史を作ります。 南イタリアから地中海全体を植民地として、アジアからヨーロッパにいたる共和制国家を経て、ローマ帝国を築いていきます。富裕で文化の高いギリシャにとって代わり、文明の中心的存在になりました。

このように、ローマの文化の多くはギリシャの文化を継承し、エジプトやアジアの文化を取り込み、模倣から始まってローマ的な古典文化を築きあげていったということになります。得意な都市のインフラや建造物などは、ローマならではの発展をみせました。肖像や通貨の彫刻などは中世のヨーロッパ文化の基盤となったのです。


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