最終章:いよいよヨーロッパのジュエリーが始まった
ローマ時代の貴族階層と市民階層、富裕な人々の増加は、ジュエリーの発展に大きく変化をもたらせました。宝飾品をこぞって身に着けるようになり、アジア、アフリカ、ヨーロッパの広い地域から多くの富が集まり、宝飾文化が生まれたのです。
巨大になった古代ローマ帝国は、395年に東西に分裂します。その間にローマの文化は地中海周辺だけではなくヨーロッパ大陸全体に広がり発展しました。
発展とともに帝国の内外では、多くの民族の移動と各民族の進歩がありました。特に大きな変化の一つは、北のゲルマン系民族の南下が進んだことです。
これにより5世紀以降には現代のヨーロッパの基礎となるフランク王国が誕生しました。300年以上、この王国は8世紀まで続きます。
のちにフランク王国はさらに分裂し、現代のヨーロッパ諸国の基になる多くの国が生まれ、そこでいよいよ各国の特色をもった中世の歴史を彩る王族や貴族のジュエリーの繁栄がありました。
王族や貴族、富裕な市民だけではなく、ここでジュエリーの文化に大きな変化をもたらせたのがキリスト教です。
キリスト教が380年にローマの国教になって以降、ヨーロッパ社会の中心をなす宗教となり、中世にいたるまで教会の権威を示す宝飾品が大いに繁栄しました。 教会への奉納品や、聖遺物を入れる箱、聖職者の威厳を示す指輪、豪華な胸飾り、地位を示す冠などがあります。金細工をする修道士もこの頃生まれました。
古代ローマ時代にはヨーロッパのキリスト教圏と同様に、アジアやアフリカのイスラム圏も誕生しました。この地域にも国王たちが存在し、ヨーロッパ社会の美意識とは違った宝飾文化が誕生しています。
ジュエリーの歴史の始まりはこのようにして、キリスト教とヨーロッパ各地の王国の誕生によって大いなる発展を迎えました。
地中海の片隅から生まれたジュエリーの歴史がギリシャ、ローマを通じて中世の広い国へと広がり、中世ヨーロッパの貴族社会のジュエリーの文化が開花したわけです。
キリスト教には欠かせない宝飾品は、聖杯、遺物箱、胸飾りなどの他、 古代ギリシャ時代から受け継がれた権威を示す「王笏」、 神の代理人から授けられる貴族の「王冠」、 聖職者の代表法王の持つ「漁夫の指輪」 キリスト教の権威の象徴「宝珠」などは多くの物語を私たちに届けてくれるものです。 今に続く後の中世ジュエリー文化、近代のジュエリー文化を知るための基礎として画像などを、是非、調べて楽しんでいただきたいと思います。
ジュエリー文化の歴史の始まり最終章でした。
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